サワラ キャスティング撃沈

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3/15(日) サワラキャスティングに行ってきた。

言うまでもなく、現代人が自然に対して抱くあの傲慢きわまりない期待――すなわち、金を払い、早起きをし、もっともらしい道具を振り回しさえすれば、 海もまた礼儀正しく魚を差し出してくるだろうという、自称文明人特有の思い込み――を胸に秘めての出航であった。

高校時代からの友人とともに、意気揚々と船宿に到着。二人とも期待の大きさを表した、どでかいクーラーボックスを転がしながら船に乗り込んだ。 その日の客は皆一様にしてそのような出立だった。早くも釣れた時の話をする者も多い。やれ炙りが美味いだ、塩焼きが一番だのと好き勝手にくっちゃべっている。 宝くじが当たったらどうする?そんな話で盛り上がっていた学生時代から全く何も成長していなかった。

その日われわれを迎えた海は、驚くほど沈黙していた。静か、という次元ではない。完全な沈黙だった。 とうの昔にあらゆる希望を放棄し、生命活動そのものを事務的に打ち切った官僚のような海だった。 潮の流れなどと言うものは皆無で、魚の気配はどこにもなく、鳥の跳ねもなく、ベイトの影も一切見当たらない。 船上には、釣れる者の高揚でもなく、釣れぬ者の焦燥でもなく、ただ「何も起こらない」という事実だけが、妙に公平に行き渡っていた。

船中16名のルアーマンたちによってルアーが幾度となく投げられた。投げられ、回収され、また投げられた。 人間の努力というものが、これほどまでに空虚な反復作業として可視化される機会も珍しい。 誰もが竿を振るたびに、次こそは、と胸のうちで小さな祈りを捧げていただろう。 海はそれら一切を、役所の窓口に差し出された不備ある申請書のように、無言で差し戻し続けていた。

結果として船全体で0本。見事なまでの全滅だった。ここまで徹底して何も起こらないと、もはやそれを不運とすら思わなかった。 魚がいないのではない、魚はいる。むしろ「釣られてなるものか」という魚たちの、いや海全体の強固な意思が、 水面下に冷たく横たわっていたのだと解釈したほうが自然にすら思えた。

そのうち、潮目を眺めていると、うっすらと髑髏が浮かび上がって見える気すらしていた。 生命の気配が失われた水面は「本日の希望は終了しました」とでも書いているかと思うほどに一方的な絶望を静かに表現していた。

われわれは釣りに来たつもりだったが、実際には自然の無関心さを学びに来たのかもしれない。 サワラは最後まで一匹も姿を見せず、海だけが終始、こちらの熱意を鼻で笑っていた。 実に教育的な一日だった。

友人と同船したのは、あの日における数少ない救済措置だった。もしあれが単独釣行だったなら、 私はおそらく中盤には人類の進歩に対する信頼を完全に失い、後半には竿を置いてふて寝し、 帰港する頃には「釣りとは何か」という、答えの出ない抽象的設問だけを胸に抱えた陰鬱な小市民に成り果てていたと思う。 だが幸いにも、友人という存在は、人間が虚無に呑まれきるのを防ぐために社会がかろうじて保持している、最後の安全装置と言える。 何も釣れない海の上で、せめて「何も起きねーな」、「釣れる気がしねーな」と言い合える相手がいることの、なんと文明的なことか。

加えて、友人と一緒に船上ですすったカップヌードルは実にうまかった。あれほどまでに生命の気配に乏しい海上で、 カップヌードルだけが鮮烈に存在感を放っていた。塩気と化学調味料だけは人類を見捨てない。 海の上で食べるカップヌードルというものは、陸で食べれば単なる即席麺にすぎぬものを、ひとたび沖に持ち出した途端、 妙にありがたみのある御馳走に昇格する。釣果は皆無であっても、湯気の立つあの紙容器の内部にだけは、確かに幸福があった。

そして、あまりにも絶望的な釣果だったせいか、船宿ですら釣果情報の掲載を見送っていたのも味わい深かった。 通常、釣果情報とは客に希望を売るための広告そのものだ。しかし希望そのものが当日欠品していた場合、いかに書き慣れた船長でも「書くことが何一つない」状況ではどうしようもなかったんだろう。「厳しい状況でした」と婉曲にぼかすことすらためらわれるほど、現実が無惨かつ簡潔だったんだと思う。 沈黙はときに雄弁であるというが、飛び石になった釣果情報こそがその凄惨さを誠実に報告していた。

出船直後、私は呑気にも船べりに差したロッドの写真を撮っていた。出陣の記念、あるいはこれから始まる栄光の序章を、いかにもそれらしく記録しておこうという、 きわめて平和で見通しの甘い行為だった。 あの時点では、まさか船縁に差し込まれたルアーマン達のお気に入りの一本一本が、 のちに我々の希望が沈んだ現場をしめす墓標として機能することになろうとは、 夢にも思わなかった。

今になってその写真を見返せば、そこに写っているのは希望の釣具なんかじゃない。 むしろ、これまで培ってきたスキル、知識が一切通用せずに討ち死にした骸の前に整然と並べられた儀礼用の標柱に近かった。 私も釣りに行くと毎回写真を撮っているが、あの一枚に限っては、記念というより法要の準備だった。

Sawara casting game